合気道での体験を未経験な人とも共有していきたい、というのが今年から支部を開くきっかけになっています
自分が合気道を通して体験した衝撃が「身体と心のつながり」です
それは自分の写真家としての観点にまで影響を及ぼしています
今回は、合気道での「衝撃」と「合気道と写真」について少し述べたいと思います
安藤毎夫師範が伝える「身体と心は関連している」という実践は非常に説得力があり
興味深いテーマです。自分が合気道を続ける動機はほとんどこれが原点にあります
『構え』
構えをするとき、身体をひとつにまとめられると雑念が消えていきます
この体感を感じ始めたのはほとんど最近なんですが、この構えを覚えると構えの状態が非常に心地良くなります
まず身体の中心がブレないように整えていくと
余計なことを考える必要がなくなってきます
例えば腕について、構えの時に腕の力みを抜き適切な肘の位置や角度をみつけることができると、たとえ押されたり引かれても全身の強度や安定性が保てるようになってきます。また肘へ注意を向けずにすみますから、意識が分散されずに済みます。
『一体感』
身体の中心に意識を向ける作業です
数式でいえば、雑念となるような変数をどんどん減らして、公式をシンプルにしていくような感じでしょうか
四肢や首筋そして肩の力を抜き、また骨盤を下げて上半身と下半身の連携などを解決していくと、たとえ構えずリラックスしていても、身体がひとつにまとまっていきます。
この状態を維持して動くことができれば、より早くそしてより重く動けます
『無心』
これは自分の想像ですが、
このようにして身体という数式をなるべくシンプルな式に書き換えていく
そうすると思考もシンプルになっていく。これが「無心」の入り口だ
安藤師範はそうおっしゃっているような気がします
単に精神論ではなく、先生の「技術から思想に入る」ということに私はとても影響を受け感動してるんですが、みなさんはどうでしょうか
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『身体から心へ』
合気道を通して感じたのは精神論でもスピリチュアルでもなく実証的だという経験でした
理合いをきちっと学んでいけば、技術を身につけられる世界だということです
もし経験されてない人は、一度体験されることをお勧めします
心というのは形がないですから直接見たり触ったりできません
だから身体を通してしか心には触れられません
武道は身体を通して心を鍛えます
心を整える日常は自分の人生に計り知れない影響を与えています
人生で合気道に出逢えたのは本当にラッキーでした
『合気道と写真』
では写真という観点から私が合気道の歴史をどうみているか、について話していきます
以前、「自己同一性」という題で植芝盛平先生と塩田剛三先生の肖像写真から感じられる違いを述べました
つまり「緊張の現れ方の違い」です
なぜ植芝盛平という人は身体全体に「緊張」が分散され、塩田剛三という人は「緊張」が頭に集まるのか?
これについて、個人的な資質というよりも「時代」と「環境」の違いだと私は考えています
そして実は、この鍵は鎌倉時代にヒントがあると思っています
では次回はこれについて中世の日本史とからめて前回とは違う点から述べていきます