明治維新において
日本は欧米列強に植民地化されずに近代化した
それは日本列島全体を「一つの国」としてまとめられたからで
それができなかった世界の国々は、ほとんど植民地化された
アフリカや東南アジアの国々の多くは多神教のエリアで
国という広大な領域を「ひとつの国家」という抽象的な統一概念で考えるようなことはしない
多神教のエリアの人々はもっと、ものごとを具体的に眼に見える範囲で考えて生きている
要するに統一原理をもたない
でも国家という統一原理をつくらなければ、徴兵制にして国民皆兵にできない
国を守れない
一方で中国や韓国、インドのような原理主義の強い国は
中華思想や朱子学思想、カースト制など
その原理性が強すぎて近代化に乗り遅れた
そして植民地化されていった
統一原理を持っていなかった国、そして持っていた国
どちらも植民地化されていった
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しかし日本は違った
この国は植民地化を免れ、近代化にも乗れた
その理由は八百万の神の国ではなかったからだと思う
つまりこの国は多神教の国ではない
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もっと正確に言うと
日本という国は中心に原理主義が働いている
その周りを八百万の神が取り巻いている
つまり日本という国は
多神教と原理主義の二重構造になっている
そして中心に原理はあるが、実体がなく『空』になっている
だからこの国のシステムはバームクーヘンのようなものだ
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もし日本に中心原理が働いていなければ
国はひとつにまとまらず
東南アジアの国々のように政府の権限を強くし
社会主義でやってこなければならなかったろう
そして韓国や中国のように原理性が非常にはっきりしている国なら
時代に柔軟に対応できず日本も近代化に遅れたはずだ
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たしかに日本の中心に原理主義はあった
しかし他の国と違い、中心に実体はなかった
なぜなら主体は「人」ではなかったから
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日本文化は「状況こそ主体」だとしている
ただ、状況は実体化できない
状況は常に変わるため
中心に、ルールや形として意識化できない
だから日本の中心は視覚化されない
それで『空』になっている
そして『世間』が眼に見えない同調圧力をつくって中心の『空』を支えている
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