私が日本人と接する時に気をつけていることがあります
というのは我々日本人同士で接する場合
お互い何か前提となる約束事が始めからあって
それを共有している
その上で私も日本人とは会わなければならない
そんな感じがします
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写真だと説明しやすいんですが
日本人は人を撮る時にすでに『人間』だという前提の感覚で撮っている
要するに日本人はマナーがいい
自分の場合は少し違っていて、まず『生き物』を撮っている感覚なんですね
「こういう生き物っているんだぜ」
っていう感覚
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まず自分はヒトを霊長類、ホモサピエンスとしてみている
生き物を観察するようにみている気がします
アメリカ人の表現もその傾向が強いと思います
ただ私は、アメリカ人のようにドライに対象を完全に突き放したりはしないけれども
一般的な日本人のようなウェットな写真にもならない
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例えば
荒木経惟さんや篠山紀信さんのポートレートの写真は
被写体に湿度を感じるというか
ヌメっとした情感を感じるんですが
自分の写真はだいぶ乾いている
対象を突き放している
半分は昆虫を眺めるような眼線かもしれない
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写真だけではなくて、日本文学をみていても同じように感じます
日本の芸術表現は共感力が強く、被写体と一体になるようなものが多い
だからマナーがいい
夏目漱石の文学なんてとても品がいいですね
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対象を フラットにみる感覚は日本だけで生活していると難しい感覚かもしれません
日本で生きていれば
日本人の顔をしていたら
日本語を話すのは当たり前だという前提で話すと思うんですが
国外に住むとその前提から考慮しなくてはいけない
そういうところから自分は日本人に接している感じがあります
それが自分の写真の感覚に投影されている可能性はあります