新しい土地を訪れた時には、最初の勘を大切にしています
それはアメリカでの滞在経験が大きい
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アメリカでいろいろな都市部に住んでいました
シアトル、サンフランシスコ
フィラデルフィア、、
そして中西部の田舎には最も長く住んでました
生のアメリカを体験したかった
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アメリカというのは基本的に田舎です
日本の国土面積の約25倍くらいの土地に日本の人口の3倍に満たない人たちが住んでいる国です
でもほとんどの日本人はニューヨークやロサンゼルスをアメリカだと思い込んでいる
日本でいうと、そこは六本木とか歌舞伎町とかいう東京の特殊な場所のようなもので、アメリカの大都市はアメリカを代表していない
ニューヨークやロサンゼルスは世界中から何らかの目的のために人が集まって、外向けに意識して創られた商品としての街
しかし中西部の田舎は外国人に見せようとしてつくったわけではない
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しかし話したいテーマは都会のことではなくて、土地の感覚です
私が長く住んでいた街は中西部にある人口2000人くらいの小さな町です
そこは非常な人口空間だった
雨も降らないし近くに川もない
でも各家に芝生があり、街には並木道があり、たくさんのリスが住んでいる
水がないのにどうしてそれらがあるかというと遠くの川からパイプラインで水を引いている
本来砂漠の場所に人口的に灌水して町をつくっている
並木道や各家の庭には地中にスプリンクラーが埋め込まれていて、
間歇的に下からパイプが伸びてきて水がシャワーのように撒かれています
当然これが止まればこの土地は全て砂漠になる
そして農作物をつくっているわけではないのでこの町は消費しかない
だから動物は本来ここには住めない
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非常に不思議な町です
しかしアメリカという国は、こういう町がとても多い
ペンシルベニア州のフィラデルフィアも街の水が飲めません
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自然状態では人が住めない
こういう土地で住むことは人間の五感を麻痺させています
日本人というのは土地に根着くので、土地に関しては一般的にアメリカ人より敏感ではないかと思います
私は住んでいてずっと生理的な違和感がありました
ここではなにか、住んでいることの本能的な異質感を感じた
でもそのおかげで自分の感覚を信じれるようになった
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今回、このトピックについては感覚だけで話してます
理屈はありません
話は日本に飛びます
住む場所は山と綺麗な水源がある場所がいい
そう感じています
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山は空からの気をキャッチして下に流します
例えば、沖縄の那覇や横浜の元町周辺は栄えています
そこには近くに緑のある丘があり、そこから良い気が流れてきている
那覇は首里からの気を拾って栄えているし、
横浜元町も中区山下町の丘からの気を得ている
ただし丘の上に森がないとダメですね、首里も中区の丘にも緑があります
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そして日本に帰国してから首都圏近郊にある、海のそばにある街に一時期引っ越していました
この街は大きく分けて旧区域と新区域に分かれていて国道がそれを分断しています
新区域は完全に埋立地のエリアで新しく駅が設置され、道路は大きく綺麗に舗装され、新興住宅街があります
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新区域に訪れるときは、決まっていつもフラットで空虚な感覚、沖縄の先島のような寂しさがあった
「シーン」という音が聴こえてくる、夭折の感覚、生きた心地がしない、行き詰まりのような感じ
その新区域にある駅周辺は血脈、つまり「電車」が通り道だから良い気とは言えないが気は巡っている
だからまだいい
けれども新区域の駅からすこし奥まで入って行くと埋立地であることを実感する
土地が完全に「死に体」
夜に行くと気持ちがざわつく
水だった感覚
海だったっていう感覚がする
足元から不安を感じる
この土地に住んだら私は充分な睡眠がとれない
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山や谷がないと人の心は形成されない
山と谷には動物がいるし、水脈がある
そして起伏のない土地は人の感覚を鈍らせる
本来、動物や植物が住めない所に人は住んでも心定まらない
これはアメリカでの経験とつながります
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アメリカにはラスベガスという土地があり、そして日本にもディズニーランドがあります
こういう夢(虚構)を売るロケーションというのは不毛な土地、つまり砂漠や埋立地などを選ぶことで栄えやすいと思っています
つまり根が無いから
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砂の器
真っ赤な嘘というのは根がない空間でつくった方がいい
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例えばディズニーランドは完全な人口空間です
世界観が既に構築されていて、そこに人が収容されている
そしてそこに訪れる人の創造的余地が許されていない
感動するポイントすら決められている
自然と違い、見る人に創意工夫をさせない
夢の国では窃盗も存在しない
徹底的な管理社会
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非常に思想的ですね
自分なら、隣にある北の国家を連想してしまう
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根拠と言われてもこういうことは困るんです
ただ、自分が動くときはほぼ直観で動きます
学者だったら第一次資料や証明が必要ですが、こういうことは自分さえ確信していればいい
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国外に住むと自分が生き残ることが最優先です
だから瞬間的な判断が求められるときが多い
非常時は結果させ当たればいい
だから最初の直観を信じます
自分の人生で直観で決断したことは基本的にうまくいく
だから違和感があったら選ばない
根拠は二の次でいい
そう決めています
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ほとんどの人は『無意識』を無視して生きてる
本当は人は多くのことに気がついている
しかしそれを情報化しないようにしている
ノイズを減らし、できるだけ簡単に物事を考えようとする
管理できないことは触れないようにする
都市空間、人口的な空間に住んでいる人ほどそうなっていく
そこには意味のあるものしか置いてないから、都市空間で育った人は意識化されてるものしか見ないようになっていく
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『無意識』というのは「抑圧された意識」のことです
これをあまり開いてしまうと日常にノイズが入ってきて生活が回らなくなる
だから気がつきたくない人が多い
でも、この解放を求められる職業もある
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今回はこういう感覚だけの話をしてみました