仏教に関心があります
般若心経は面白くて、たまに読みます
非常にモダンな考え方です
でもあまり馴染みがない人が多いかもしれない
興味がある人はどうぞ
私ならこう解釈します
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五蘊(ゴウン):色受想行識
人が世界を認識する過程
色:Material Object / 物質
五感の全てによって同時に感じとれるもの
(全ての物質には色がついている)
受:Input / (感覚の)入力
想:Calculation / 計算
行:Output / 出力
識:Recognition / 概念化 (言語化)
受想行を認識すること
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五蘊(ゴウン)とは『色受想行識』
外界の物質を知覚して、頭に入力・計算・出力し、それを認識する
人が外界を知覚してから認識するまでの一連の流れを説明しています
人は意識と無意識の両方で知覚しているが、最終的に概念化できるのは意識のみで、頭で気がついた部分だけ
だから無意識に知覚したものは抜け落ちている
つまり
五蘊とはクオリアについて言っている
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そして『空』と『無』
空:0or No
Materiality /
存在するが実体がないもの、数字の0
(0はプラスもマイナスも含んでいる)
無:No Existence /
存在しない、数そのものがない
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色即是空:物質(色)は、存在するが実体がない(空)
五蘊皆空(ゴウンカイクウ): 外界を知覚し認識するプロセス(五蘊)は、存在するが実体がない(空)
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意識化できるものは(文字のように)固定しているものだけ
(心のように)変化し続けているものは捉えられない
そして変化の速さに程度こそあれ、そもそも全てのものは変化し続けている
だから色は空と言っている
(物質は存在はするが、実体はない)
ヒトが「ある事象について捉えた」とする認識は、ある事象が変化し続けているときのほんの一瞬、ひとつの姿を視たにすぎない
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仏教の『色即是空』は
中国なら老荘の『無為自然』
日本なら『諸行無常』や『方丈記』
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
と、私なら言い換えます
そしてピカソも生涯『無為自然』を追求した
彼は最晩年にこう言っています
『ラファエロのような絵を描くのに4年かかったが、子どものように描くのに一生かかった』
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映画の『Taxi Driver』も仏教的なテーマを感じます
この映画のテーマは『私』の追求
主人公のトラヴィス(Robert De Niro)という『考える私』がいて、それが絶えず変わっていく
どれが本当の『あなた』なんだ?
これは仏教の『無我』のことですね
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『無我』こそが仏教にとっての自由
自由とは『主体(主語)の不在』
何も選ばないことの自由
『私』の否定
諸行無常
『私』は常に変化し続ける
日本人はこっちの方を自由に感じると、ひそかに思っています
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一方で西欧社会にとっての自由とは
『主体(主語)』があること
『私』の存在
『あなたが選択できる自由』
霊魂不滅という『変わらない自分』
アイデンティティ
だから欧米社会で生活していると、全てが個人の権利と責任に還元されていく
僕には窮屈な社会、常になんでも『私』がいて責任を負わされている
本当に日本人って『主体』を信じてますか?
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映画の『Sonatine』にも仏教的世界観を感じます
この映画は何が原因なのか分からずに物語が進行していく
シナリオがよくわからない
でも映画に出てくる人たちはみんなつながっている
これが『縁起』の感覚じゃないでしょうか
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21世紀までの自然科学が未だに触れてこなかったものは『意識の研究』と『システムの解析』
しかしこれは仏教が二千年以上、追求してきたものです
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そして『解脱』という概念を除けば、仏教は宗教ではありません
哲学です