『夢』(1932)
ピカソが52歳の時に、22歳の愛人マリー・テレーズ・ウォルターを描いた
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この愛人の絵って心地いい
彼女、自分が一番だと思ってるから
その人間が情念深いかどうか
眼つきでわかる
この女性は愛情深い人
ピカソの眼に狂いはない
女、人間の本質を見てる
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ピカソ優位じゃないね
写真でも絵でもその人間の眼線ってのが出る
ピカソって対象の中に入り込んでいるから
女性の知性や精神性の高さとか奥行き
性意識の成熟度まで作品から匂う
あなたはどれだけ対象に情熱や愛情を注いだのか?
ってピカソに問われてる気がする
プライドの高い子供は愛されない
荒木経惟の写真がなぜ人の心を打つのか
丁寧に人と向き合えた人はいい作品をつくっている
関わった相手や興味の対象にどれだけ思い入れたか
女性からみたら、豊穣の女を描けない男は魅力がないだろう
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チャップリンは偉大なんだけど
彼は豊穣の女性が描けない
心貧困でよく耐えたねって感じさせる
痛々しさがある
チャップリンも漱石も自家発電で萎えていった感じがする
女性からみたら痩せ我慢の意味で偉大
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読み込んでない、女性の表現に青い匂いがする男は晩年が危険だ
居心地のいい女を描けていないって何か違う気がする
赤ちゃんは柔らかいタオルや乳房を求めるのに
それを否定し続ける人間ってどこか違う
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北野武監督の『ソナチネ』は映画史の至高
けれども、女性に関しては違和感がある
北野映画の女ってリラックスしていない
彼の映画の女性像って、子を成せない女
母から生まれたのに母になれない女って、やはり何かが違う
『ソナチネ』も非常に綺麗な世界なんだけど、人生の最終地点ではない
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ピカソの描く愛人って人生の意義を含んでいる
これを学びにきてるのに、ほとんどの人はそれをわからないまま死ぬ
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『泣く女』(1937)
やっぱりね、心に他人を入れるの必要だ
肝心な部分隠して本質を突いても説得できない
苦手なことから逃げてるとそうなる
なら俺の女神って、『泣く女』
まいったな
好き嫌いが異常に強くて、感情吐き散らかしたい
神経質、重い責任を嫌う、我がまま、攻撃性、憎しみ
ピカソに
「これがお前だよ、この女を愛しなよ」
って言われてる気がする
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こうやって自分の我がままを引き出してくる人って迷惑行為に感じるから
過去の人生ではつい攻撃してきたんだけど
時が経つと気がついてくる
解放を促した人間の尊さ
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芸術って素晴らしいね
手塚治虫は生きるか死ぬかまで掘り下げた
しかも美しく
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誰にも迷惑かけない自分ってかっこいいけど、問題は中晩年からやってくる
自分の我がままを封じ続けてくると、将来他人にもそれを強制するようになる
歳とるとかっこつけていられない
本音本性が出てくる
等身大になって本音を言えずに歳を重ねたり、地位や収入だけ得ると狂ってくる
そうやって生きてくると他人とのシェアの方法を知らないから
軌道修正が突発的で過酷なものになるだろう
『ヨシ子さん』なんていいね、桑田佳祐さんの女神ってこれでしょう
彼は受け入れてる
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女神って楽させないといけない気がする
泥仕事させたり絶対に悲しませてはいけない
不幸な人って自分の女神を傷つけて喜んでる
つまり女神って理想の女性のことじゃなくて
女神を描いている本人自身のことなんだ
だからそれを受け入れないと自傷行為になる
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女性の表現はとても難しい
ぼくら日本の男って、なんていうんだろう
人類愛にいけない、母親に飲み込まれてしまう
人間は一人じゃ生きていけないから、もちろん依存も程度なんだけれども
でも本当は
母親と向き合った人
醜い女神を守りきった人が偉大
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