意識と無意識:漱石と植芝盛平
<意識優位の社会:モラルとしての『型』>
都市空間では人間が全てを管理する方向に向かっていく
そこでは人間の行動もコントロールする必要がある
心で行動を統御する必要があり、それは宗教や思想
そして身体を制御する『型』も含まれる
身体が勝手に動いたのではまずい
社会は心優位でないと乱世になる
そのため、江戸時代において治世のために唯心論が定着し、『意識によって身体はコントロールされるのもの』という考えが徐々に常識になっていった。それぞれの身分に応じて身体に『型』を身につけさせ、この時代に『型』が日本人の倫理観と道徳になった
心というのは意識のこと
唯心論とは意識が存在を決定することで、『意識が全てという意味ではなく、肉体に対する意識の優位』という意味で、江戸時代は心優位の社会。この心の統制は治安管理のためだと考えられる。ちなみに鎖国というのも幕府の情報統制だから、江戸時代はすでに情報化社会といえる
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〈意識化していく社会:『型』の喪失〉
明治維新で封建制度が崩され、倫理や道徳として人を管理していた『型』がなくなり、突如日本人の行動規範が失われた
『型』とは、立居振る舞いを身体に染み込ませた思想
身体という無意識に動くものをいかに『型』によってコントロールするか
そしてそれを完成するための方法が『道』だった。
つまり欧米と違い、日本思想は言葉にはなく、身体による『型』が日本思想としてあった。しかしそれがなくなったため、代わりとなるものを探さないといけなくなった。どんな社会も意識によって無意識の身体をコントロールしようとする。しかし日本社会は明治以降、『型』によってではなく、頭のみで身体をコントロールしていく社会に向かっていった
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〈加速する意識化:唯心論から心理主義へ〉
情報化社会の加速とともに江戸期の唯心論が濾過されて、明治期に社会は心理主義になった
つまり、心がすべての時代になっていく
心理主義とは
『意識がすべてという意味で、全ての事象を心理に還元し解釈してしまう』こと
身体ではなく『心に全ての原因がある』として社会が管理化に向かっていく。明治以降、文学の世界も心理主義に向かった
江戸時代には実証主義、つまり観察と経験に基づく考え方はあった。しかし明治期を過ぎると日本でも自然をコントロールできるようになり、合理主義思想に変わっていった。時代は実際の「経験」よりも、思考によって創られた「論理」的な価値観へ向かい始める。つまり自然の脅威を考慮せず、人間中心でものごとを考える時代に変わっていく。心の優位が加速して無意識という身体を無視し、『心の優位』から『心理のみ』へ社会思想が変わっていく。
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〈意識優先の社会:心理主義の社会に生まれた夏目漱石〉
意識優先の社会に登場してきたのが夏目漱石だった
だから彼は行動の原因を意識に求めた。つまり首から下の身体という無意識を無視した
夏目漱石の価値観は江戸期の唯心論を継承し促進している
そのため彼の小説は、心の世界によるものになった
それは身体についてではなく頭、つまり『意識』の世界
『心』というのは意識のこと
だから夏目漱石の小説は意識の世界で満ちている
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〈意識のみの世界:心理主義が普及する情報化社会〉
心理主義という思想は、人は動機があって行動をするということを前提にしている
しかし実際は行動の原因に心の動機、つまり意識的な理由があるとは限らない
けれども管理社会になっていくと、個人の心に原因を特定していく方が責任の所在が明確で都合がいい
原因がわからないというのは情報化社会では許されない
動機がなくて無意識に行動が起きるということは都市空間では認められない
都市空間では何より秩序が重んじられ、自然、つまり管理しきれないものや予測できないものを極力排除していこうとする。都市で事故が起きれば管理者が責任を問われるし、どんな偶発的な事故であれ、理由はわからなかったとしても、かりそめの因果関係を求められる。そのため、情報化社会の加速とともに漱石が心理主義で文学を始め、現在に至るまで文学の世界は心理主義で続いていく。文明化とともに無意識は存在しないと仮定される方向に向かっていく。つまり行動の原因は意識のみにあるという時代になっていった
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〈意識の産物:合理主義と実証主義〉
日本文化ではもともと、一つの作品に自分の信念を注ぐという考えがない、つまり思想を対立させて考えるという発想がない。だから欧米と違い『小説』が生まれなかった
逆に英語においてはものごとを対立させて考える。対立してモノを考えられるというのは、『感覚』ではなく『概念』から入るため。つまり論理的になる。『概念』とは言語化された意識のことで、『感覚』とは身体に感じる無意識のこと。
日本語は『感覚』から入り経験を優先する。しかし英語というのは、経験による実感が全くなくても言葉として話せる。いわば聖書の一節に書かれているように『はじめにことばありき』の世界。
西欧社会というのは言葉が経験に先行できる社会。言い換えれば、宗教や思想を概念的に「論理化」することで道徳や倫理観を形づくってきた社会ではないか。そしてそこから『小説』というものが生まれた。要するに、西欧社会とは意識中心の社会と言える。
本来、日本語は実感を優先する。感覚的に経験したことでなければ一般的に日本人は言葉にしない。そう考えると日本語に擬音語が多いのは腑に落ちる。しかし日本社会は文明化とともに、実証的な価値観から徐々に合理的思考に変わっていった。その時代の中、夏目漱石は西欧の近代合理主義の影響を受けていたために、身体感覚についての考察はなく、心理的世界についてのみ論理的な分析をし、『私小説』というものを創った。
心は意識世界のもの
ーそこで彼は明治維新後の『型』に代わる個人の道徳や倫理観を展開しようとした。日本の文学において『自我』の追求が始まった
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〈無意識世界:『則天去私』〉
そして最終的に漱石は、
『則天去私(テンニノットリ、ワタクシヲサル)』
と言い、吐血して死んだと伝えられている。
個人主義を追求してきたはずの彼が死ぬ間際、『ワタクシというのはない』という結論を出したということだが、それは、
「個性は意識のみにある」という西欧の近代的自我に対して、彼が最終的に日本人として反発をした
と私は思う。つまり漱石は『型』に代わる日本人の行動規範を、“言葉”という意識世界では見つけられなかった。
漱石のいう『則天去私』とは日本文化がもっていた本来の思想で
『意識は個性ではない、無意識という身体にあるのが個性』
だということ。だからこそ江戸時代に、個々の人間の身体の個性を社会共通の『型』という所作に統一させてきた。
例えば合気道という武道は、個人がもつ身体の個性を伝えている
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〈意識と無意識:夏目漱石と植芝盛平〉
夏目漱石(1867-1916)は植芝盛平(1883-1969)よりも早く生まれているが、漱石はシティーボーイだった。植芝盛平はカントリーボーイで和歌山で育ち武家社会にもいなかったから情報化社会から離れた位置にもあった。そのために漱石よりさらに前の、近代以前の日本の思想を持っていたはず。江戸時代の管理化された都市部ではなく、中世の感覚ではないだろうか。
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植芝盛平という人の写真を見ると、
『人を動かしているのは根本的には身体という無意識で、個性は身体にある』
と言っているように感じる
植芝盛平という思想は、『型』の喪失とともに我々日本人から失われた重要な価値観ではなかったか。
つまり身体が “言葉” で、思想が『型』だった
日本の思想は言葉では表現できず、植芝盛平という人は武道を通してそれを完成させたのではないか
死ぬ直前の漱石の言いたかったことは植芝盛平という思想に集約されている
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思想とは意識ではない、つまり言葉ではない
人を動かすのは根本的には無意識だということ
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明治期に『型』が喪失して日本人の行動規範がなくなっていった。そのため、西洋社会から輸入した『近代的自我』のために、身体からではなく『概念』によって行動規範をつくる必要を夏目漱石は考えた。しかしそれは言葉であって身体ではなかった。そのため彼は行き詰まってしまった。言葉というのは意識の産物だから、解答が得られずに漱石は命を縮めたのかもしれない
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〈意識という思想:西欧近代合理主義〉
例えば、塩田剛三という人の肖像には『自我』つまり西欧近代合理主義の雰囲気を濃厚に感じるが、
植芝盛平というひとの肖像写真にそれを感じない。
自分へのこだわりがない。植芝先生の肖像写真は緊張が全体に分散されている。
一方で塩田先生の肖像写真は頭部に緊張が集中している。感じるよりも考えて答を出す顔をしている
塩田先生のその雰囲気は、文学なら司馬遼太郎や安部公房の肖像写真にも感じるし、三島由紀夫もそう。
明治期以降、日本人の顔の雰囲気がどんどん意識中心の世界に移っていっている
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〈肥大化する自意識:日本社会の迷走〉
明治維新後の日本は、情報化社会のために社会の最小単位だった『家』を『個人』にすり替えていった。そこから自己の追求が始まった。そこに村上春樹の小説があるし、『アジアンジャパニーズ』や『深夜特急』といった自分探しの本がたくさん出てくる。しかし我々が教育を受けた個性とか自分探しというのは首から上の、意識の世界。でも個性は本当に意識にあるんだろうか
また英語の場合、表音文字の限られた26文字という単位の順列と組み合わせで言葉が成立する。この考え方を個人と社会の関係で置き換えた場合、個人、Individualというこれ以上分けられない単位が集合して社会を構成するということ。つまり個人は単位にすぎない。
けれども日本風に漢字と平仮名、つまり表意文字と表音文字で考えると、アルファベットと違い、漢字は増やせる。限られた数ではない。だから日本語で個人を考えていくと、自分だけの個性があると信じやすい。明治維新のときに『自我』を西欧から輸入した時、そこから欧米と日本の間に個性に対する認識のズレが生じたのではないかと想像している
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