<カトリックと合気会>
もともとカトリックは信者と神とは間接取引です
信者と神との間に立っている神父だけが、聖書を読んで解釈できる
カトリックは神父が仲立ちするため聖書の解釈の幅を制限し、信者が分化しにくい
そのため求心力がある
組織運営も合気会と同じく一枚岩で、経済収益において中央集権的
一方で土着の自然宗教と混ざっているため、多神教的要素があります
例えばマリア信仰や聖人信仰がある
そしてカトリックの固定点は教会になります
バチカンのカトリック教会本部に相当するのが日本の合気会本部で
これは固定点だから揺るがない
そして神父が植芝家の当主に相当する
聖書を解釈するのは常に神父です
そして合気会では
最初の神父である植芝盛平の合気道こそが合気道とされている
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<プロテスタントと養神館>
カトリックの神父は信者に対して神託できる、いわば卸売業者の立場です
一方、プロテスタントには牧師がいるが神父がいない
牧師は神からのメッセージを預かる立場にはいません
だからプロテスタントは信者と神が直取引になります、そして養神館も直取引です
だから、聖書に相当する基本技六法のもとに、合気道を各々の人が解釈する
また国外へ商業拡大するため
歴史的にプロテスタントではモバイルな聖書が固定点に代わっていった、教会は持ち歩けないから
養神館にとって固定点になるものは、養神館の本部ではなく基本技六法です
これは養神館を名乗る組織は外せない
また、プロテスタントも養神館も都市で育まれたので、
カトリックや合気会に比べれば管理的、原理主義的です
養神館では基本技六法が、プロテスタントでは聖書が
それぞれのイデオロギーになっています
それゆえに統制的、原理主義的なので排他性も強い
プロテスタントでは信者が各々、直接聖書を解釈するので様々な宗派が生まれ、組織が細分化していった
プロテスタントのそれぞれの宗派にとっての聖書の解釈が違うように、
養神館も先生それぞれが、基本技六法に関して解釈が異なります
これは独立自治の養神館が求心力を失っていったことに重なります
また養神館の先生方にとって植芝先生は神父というよりは牧師の存在に近い
つまり合気会の先生方よりは開祖を神格化していない
もちろん塩田剛三先生に関しても同様な態度です
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<都市と自然>
養神館の普及地はヨーロッパ大陸において、東方正教会、プロテスタント、イギリス国教会など、カトリックに比べ一元的な宗教のエリアに多くあります。これらは都市化された宗教です
※東方正教会もカトリックのように土着の自然宗教と混ざり、そしてマリア信仰も聖人信仰もある
でも東方正教会を一元的だとしたのは、カトリックとは違って政教分離ではないこと
そして地方分権、独立自治なことです
つまり、より統制的です
一方でヨーロッパ大陸のカトリック圏において養神館は普及しにくかった
カトリック圏は多神教的なエリアです。カトリックはキリスト教が土着の宗教と混じり、自然宗教化されたもの
自然宗教が混じったカトリックと、自然から生まれた植芝盛平の合気会
都市宗教としてのプロテスタントと、都市で生まれた塩田剛三の養神館
それぞれ共通の因果関係があるかもしれません
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