個人だけで行き詰まった時、これ以上やることがない時
気がつくと『ソナチネ』を観ている時がある
人は何か自分の価値観を守りたい、外の世界を嫌がる
一方で外の世界に出たまま帰れなくなる人もいる
そんな時に童心に蘇らせるこの作品は衝撃力をもつ
全体性へ還すから
個人でやれる事やりきったら環境に身を委ねて個を手放す
全体性に入って頭を空にしてリセットし、個人で再スタートを切る
そして全体へ還り個人で旅する循環
この映画はそういう気分にいいかもしれない
ロシアンルーレットのビートたけしは忘我している
こういう眼って脱法の眼
相手をみているけど見ていない、感覚麻痺の眼
自分は生きている価値がない
自分の代わりはいくらでもいる
理性を超えた感覚で生きている人がこういう眼になる
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自分は特別じゃないよ
命に価値なんてないよ
かけがえのないものなんてないんだよ
あなたも私も同じ、死んだら一緒だよ
個人がどんなに頑張っても結局死ぬんだよ
人と関わらずにいられないんだよ
でも死ぬときはひとりだよ
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そう聞こえてくる
この映画には境界がない
自分と他人の境界が曖昧
関わりあっている人すべてがネットワーク
私はあなた、あなたは私、みんなつながっている
生と死に境界がない
夢と現実にも境界がない
不眠症の映画
はっきりしないことを受け入れている
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無神論の匂いがする
全体性への回帰
結末が決まっている、全てが必然
流れに抗ってない、決意もあるが自然な決意
未来に流れがあるのを風に受け止めて流している
全体性に気づいている、対立してるようでしていない
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この時期のビートたけしって生きている感じがしない
半分死んだ感覚の人間ってなぜかイメージが流入してきやすい
ソナチネのビートたけしは意図しないで時代を超えている