さんたいよん エックス じゅうがつ
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『3−4X10月』も、それに続く『ソナチネ』にも監督の非凡さを感じるシーンが多い
『3−4X10月』は『ソナチネ』の前哨戦のよう
どちらもほとんど感覚で撮ってる
ストーリーをみているかと思うと、色彩だけで映画を撮っているシーンもある
いきなりゴッホのような印象派の絵を眺めている感じのシーンが出てきたりする
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『ソナチネ』の紅い花を空に放るシーンは綺麗だけれど
それは
今までも、そしてこれからも、血が流れますよ
というように、紅い花と赤いフリスビーは命を表現しているのか
そして死に際がいちいち鮮やか
みんな生活のリズムが壊れている
時間感覚もないから『3−4X10月』の夢落ちっていうのも違和感がない
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どちらの作品も主人公が死ぬ前に予知夢のビジョンがみえるけど、それでも死に向かっていく
最後を予期するってたけしらしい
北野作品を観ていると、女は実在で男は出来事だと思えてくる
女は常に現実的で眼にみえることを大事にする
単体で自然に生きていて適応している、無理をしていない
男は社会優先で関係性というフィクションで動いてる
だから男の方が不安定、そしてどんどん消えていく
儚いのは女でなくて、ほんとうは男
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甘ったれなんだけど、甘え許さない状況に放り込まれてあがいていく感じに、
北野監督は他人まかせの頼りない感覚を表現するのがうまい
受動性と能動性のエネルギーがあってどちらも正しい
動く人も動かない人もどっちも全体性の中にいる
どちらが偉いとか間違っているとかではなくて、
どうしようも変えられないエネルギーの流れ
それを感じさせる
『3−4X10月』と『ソナチネ』を観た後は、現実に戻ってこれないような浮遊感がある
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